湖の周りは整備され、自然を楽しむためにやってくるハイカ−がたくさんいます。
八田與一は軍からの要請でフィリピンへ灌漑調査に行く途中、アメリカの潜水艦によって船が沈没し亡くなりました。56歳でした。彼のお墓です。5月8日の命日には多くの台湾人が訪れます。 村人が感謝の意味で銅像をつくりたいと言ったそうです。八田さんはそれを反対したそうですが、結局作るのなら、素朴な作業服姿にしてほしいと言ったそうです。その言葉からも、彼の人柄が分かるようです。 案内してくれたタクシ−の運転手さんが、八田與一の若い頃の写真持っているよと見せてくれました。
八田與一が亡くなって3年後の建設開始25周年の記念日に奥様は湖の放水口へ身を投げて自殺しました。
台湾製糖へ      金門島へ
烏山頭ダム
 台湾南部の台南にあるこのダム。日本統治時代に石川県出身の八田與一さんとい方が完成させたということを、台湾に行くようになってから知りました。一度訪ねてみたいと思っていました。

 このダムのある地は、100年くらい前は、雨が降ると氾濫で水田の稲が水没し、降らないと干害に見舞われるような不毛の地だったそうです。1930年に完成したダムは嘉南平野をとても豊かな地にしました。台湾の人たちにとって 日本人 八田與一さんは偉大な人として、今も尚尊敬されています。
 台湾の多くの人に知られている八田與一さんのことを、日本の多くの人にも知って欲しいと思いました。

 このダムは、当時では世界一と言われるほどのダムで、台湾は地震が多いということまで考えて作られた工法だそうです。

 嘉南農田水利会が作った日本語版のDVDを手に入れました。そこに書かれている一節を紹介したいと思います。彼の台湾人と日本人へのわけ隔てない人柄や功績、ダムが出来るまでの様子が昔の映像も含めて紹介されているDVDです。そこに行かないと手に入らないものですが、もし、行かれることがありましたら、是非買って視ていただきたいと思います。
 私はすごく感動しました。何をするのも人間です。その人間がどんな人かのよって、この功績の評価も違っていただろうと思いました。八田與一さんという方を日本人として誇りに思います。そして、台湾の人たちにも有難うを言いたい。


                   
                    果物を食べるときは樹木に感謝せよ 

                   米を食べるときは鍬に敬意を払うべし

                   現に嘉南平原がこんなに良い収穫ができるのは我々の日本の友、

                   八田與一技師の貢献によるものでほんとうに感謝しなければなりません